大人な大人

しばしば自分の事を「大人な考え」や「大人びている」と形容する方々がいる。言われて嬉しい言葉ではあるが、穿った物の見方しかできない自分が「大人びている」と表現するのは些か違和感を感じる。

さて、問題はこの「大人びている」である。読んで字のごとくだが、一応調べてみると、「成熟した大人に見える、大人らしい、大人に相応しい」という意味のようだ。

また同じような言葉の「大人しい」というのは、「穏やかで素直だ。落ち着いていて静かだ。」という意味の形容詞であるようだ。

使用例としては「大人な対応だった」や、「大人しく座っていた」や、「大人びた性格」などである。

ここで大事になってくるのが、全てプラス評価として使用されていることである。

「大人びた性格」という言葉に

「頑固である」「頭の固い」「時代についていけない」

というようなニュアンスは一切含まれておらず、他についても同じことが言える。

さてここまで「大人」とつくものについて調べたが、一般的に逆となる「子供」とつくものについての説明をしたいと思う。

「子供っぽい」の意味は、「実際には歳をとっているにも関わらず、服装や言動が子供のようであるさま」という意味らしい。

使用例としては、「子供っぽい考え」や、「子供っぽく振る舞う」といった所だろうか。「幼い」という言葉でも代用が効きそうな所である。

この「子供っぽい」という言葉が使われる際にはマイナスの評価であると言えるだろう。「子供のような人」という意味の中に、「これからの選択肢が沢山あり、未来の多い」とか、「柔軟な発想ができる頭の柔らかい」という意味を持ち合わせる事はまず無い。「我儘である」とか、「すぐに泣いたり怒ったりする」というのが主であろう。

こうして挙げてみると、大人と子供の2つが、物理的なものだけでなく、評価点として、言うなれば精神的なものとしても反対として使われていることが分かる。

さて、ここで鶏とひよこの論争が生まれる。

「大人」という言葉に「穏やかで素直」が入っているのか、「穏やかで素直」という意味合いに最も適切だったのが「大人」なのか。

ここで先程述べた事を思い出してみよう。「大人らしい」という意味にマイナスは含まれていない。もし大人をそのまま表したのが

「大人」ならば、マイナスのニュアンスを含む言葉があってもいいはずである。そう考えると、後者が適切なのだろう。これは、「子供」にも同じ事が言えるだろうと考えられる。

となれば、大人というのは「穏やかで素直である」らしい。


果たしてそうだろうか?


今これ読んでいる大人の方で、自らは「大人らしい」と断言できるのだろうか。

出来ないならなぜできないのだろうか。「穏やかで素直である」のが「大人」なのに、大人の人達が出来なければ一体誰がするのか。

話を変えよう。「大人」という言葉の定義にもう1つ、付け足すことがある。「大人」が示す大人の対象についてだ。

言うまでもなく、「穏やかで素直」な大人が対象である。子供のような大人や、頑固ジジイのような大人はこの「大人」の中にはいない。

となれば、この「穏やかで素直」という大人の範囲には、ある意味理想、もっと言えば大人はこうであるべきというニュアンスがあるのかもしれない。

昔の日本人が全員穏やかで素直であったわけがない。玉藻前とかいうオギャバブ赤ちゃんおじさんの生み出した怪物もいれば、昔話でも登場するのは絶世の美女だ。かぐや姫やら、機織り鶴やら、雪女やら。ろくな国でないのでは?まぁいい。

もし自分の考えた通りならば、「穏やかで素直」である事を「大人」の当然の姿として認知しているであろう日本は、些か理想を追い求めすぎなのかもしれない。

大人だって穏やかじゃない時もあるし、素直になれない時もある。また赤ちゃんの大人もいれば、それこそ子供のような大人も居るだろう。


題名の大人に「」がついていないのは、そういう事だ。「大人」が大人の当然ではなく理想ならば、全員が全員「大人」にならなくたっていい。一人一人が、ありのままの姿、つまり、大人な大人であって欲しいと願う。