憤怒と敗北の今日

負けは認めるまで負けじゃない。

よく聞く言葉だ。非常にいい言葉である。誰から見ても負けてようと、みすぼらしくあろうと、認めるまでは負けていないのだ。

逆に認めてしまえば負けなのである。誰がどう見ても勝っていようが、どれだけ誇り高くあろうと、認めてしまえば負けである。


16時、シフトに入る。他愛ない会話を店長としながら、ホールに出る。注文をとってドリンクを作る作る。提供する。いつも通りの動きだ。

17時、チラホラと大学生のような若い人達が来店してくる。先日に続いて忙しくなるのか?勘弁してくれよと思いながらもホールに出る。ドリンクを作る作る作る作る。提供する。まだ疲れは見えては来ない。


大学生というのはつくづく腹が立つ存在である。やたら洒落たドリンクを頼むのに、料理を頼まないから客単価自体はそこまで無い。ほかの店は知らないが、生憎この店は料理で値段を取りに行く店である。となると必然的にドリンカー、つまり俺が死んでしまうのだが、それに見合った料金を出す訳でもない。あぁ、腹が立つ。ブラッディマリー?焼酎薄め?は?うるせぇよとっとと酔って帰れやETCバカマンコが


失礼、お目汚しした。どうしても思いついたこれが書きたかった。

18時、もう1人の店員が入る。今日は3人なので、これでどうにかやりくりをしていかなければいけない。決して他のロールを貶す訳では無いが、少なくとも今日の客のラインナップと頼んだものから見ると、ドリンカーはいつもより数倍は大変な思いだっただろう。なまじそこそこ他も忙しかったから、手伝うこともできない。ドリンクを作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る。ホールに出すをドリンクを作る作る作る作る作る作る作る作る。

いい具合に酒の回ってきた方々の声のリミットが外れて、大嫌いな甲高い女の声が頭にひびき始め、極限の集中と媚びたトーンの「すいませーん❤」という声に対してのヘイトの中で、

(面の皮を剥いで口閉ざしてクソみたいな素の声出させて「心が叫びたがってるんだ」なんていうのはどうだろうか。)ととんでもないことを思い始める。さすが俺、我ながら唯一無二は長所であり短所である。


だが。だがしかし、俺がどんなにヘイトを募ったとしても。俺がどれだけそんな人達を軽蔑してたとしても。その瞬間、勝っているのは向こうである。だって向こうは酒を飲んで、少ない飯をさらって楽しんでいるのだから。対する俺はひたすらに脳死奢り待ちETCバカマンコと休憩所発見力Aの(女)ハンターのお膳立てのための課金アイテム「酒」の配布をしているだけである。腹が立つ。

世に勧善懲悪物の出回りがあるのは、現実世界ではほぼなし得ない人間の欲求だからであろう。結局悪が勝ってしまう胸糞悪いものはマイナー作品としての色合いが強いイメージがある。万人受けをしないからであろうか、その辺はお偉い心理学者や映像研究家にでも任せておこう。少なくとも俺は見たいと思わない。しかし1番身近に自分自身として存在している。

やられた事は覚えているが、やった事は覚えてないと言うが、それはそうであろう。自分に被害を受けたことを被害を与えた事と同率に考えるわけがない。所詮人間なんて全員そんなものである。他者に対してやった悪意のある行動なんてものは、印象づくこと無く、時が忘れさせるのである。

時が忘れさせる。その時と言うのはやった時点での話だ。つまり、勧善懲悪物とは違い、やっても帰ってくる事が無いのである。いじめれば最後までいじめ通して卒業式で校歌を熱唱し悪友達と涙の別れをして新たな世界へと羽ばたいていく。そしてその世界でまた新たなものと触れ合い、自分のやった事がリソースから外れ、下らないものの経験が忘れない思い出として残る。まぁなんとも美しい青春だろうか。

そんなヤツらは中学高校とお前らと会えてよかったなんてのを酒の勢いで言ってしんみりとした空気で言ってへへ……なんてなるんだろうな。俺はお前と会った事、心の底から嫌だったよなんて言葉は、その時点で楽しんでいるやつには届かないし、壊された性格も人生も、そんなヤツらは意にも介さず、楽しんで生きている。果たして勝者はどちらなのだろうか。間違いなく後者であろうな。

19、20時。ドリンクを作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る。


しかし。かく言う俺自身も敗者なのだろう。こんなものを書いている時間で、どんちゃん騒ぎをしていたETCとハンターは休憩所でカードを挿入してパッカーンしている。どちらが勝者か。

後者だろう。こうして俺が後者を選択している時点で、敗北が確定している。


さて、書きたかったもの、そして一番の問題はこれからである。













俺には、ここしかない。ここしかないんだ。

殆どの人が、一連の流れの事を離す相手が存在して、そのことを共有、もしくは言葉にすることで自身が敗者である事の否定を他者にさせようとする。


私ってワガママ……はぁ……なんて匂わせの言葉にそんな事ないよ?返される快感というのは、結局のところ自分の中で少なからず抱いているそんな感情をノーと言わないであろう人間に対して発信することによって帰ってくる言葉を根拠として自身で自身に言い聞かせをするのである。こんなふうに書いているが、別にそれを批判している訳では無い。変に縮こまるよりも、素のままでいた方がポテンシャルとしては高く発揮できることになるだろう。

居る場合の話だ。俺のような自身から行く勇気もなく友達も少ない奴は、溜め込むかこのような所で自らと向き合って消費させていくしかない。

オフミがラフタリアの奴隷印をイカサマ試合で敗北して解除されて泣いて縮こまっている所に寄っていって大丈夫なんて言うラフタリアも

無知リアがほんほんとしてる中で白鯨で引くほど落ち込んでるスバルにゼロから始めるというタイトル回収と共に決心をさせる正妻こたレムも

牧瀬紅莉栖を救えずにα世界線で普通に戻った岡部倫太郎を再び鳳凰院凶真へと覚醒させ、シュタインズ・ゲートへの道へと切り開く決意をさせたまゆしぃのような存在も


俺には居ない。

タイムカードを切り、帰宅。

こうして一人部屋でこんな下らないものを書き続けている俺と、軽蔑している人間が幸せにカレカノと夜どうしの通話やらなんやらの間違いなくその人物にとっては唯一無二である時間を過ごす同じ休日の同じ夜、果たしてどちらが勝者だろうか。

分かっている。俺も、そんな人物も、そして今これ読んでいる人も。