憤怒と敗北の今日

負けは認めるまで負けじゃない。

よく聞く言葉だ。非常にいい言葉である。誰から見ても負けてようと、みすぼらしくあろうと、認めるまでは負けていないのだ。

逆に認めてしまえば負けなのである。誰がどう見ても勝っていようが、どれだけ誇り高くあろうと、認めてしまえば負けである。


16時、シフトに入る。他愛ない会話を店長としながら、ホールに出る。注文をとってドリンクを作る作る。提供する。いつも通りの動きだ。

17時、チラホラと大学生のような若い人達が来店してくる。先日に続いて忙しくなるのか?勘弁してくれよと思いながらもホールに出る。ドリンクを作る作る作る作る。提供する。まだ疲れは見えては来ない。


大学生というのはつくづく腹が立つ存在である。やたら洒落たドリンクを頼むのに、料理を頼まないから客単価自体はそこまで無い。ほかの店は知らないが、生憎この店は料理で値段を取りに行く店である。となると必然的にドリンカー、つまり俺が死んでしまうのだが、それに見合った料金を出す訳でもない。あぁ、腹が立つ。ブラッディマリー?焼酎薄め?は?うるせぇよとっとと酔って帰れやETCバカマンコが


失礼、お目汚しした。どうしても思いついたこれが書きたかった。

18時、もう1人の店員が入る。今日は3人なので、これでどうにかやりくりをしていかなければいけない。決して他のロールを貶す訳では無いが、少なくとも今日の客のラインナップと頼んだものから見ると、ドリンカーはいつもより数倍は大変な思いだっただろう。なまじそこそこ他も忙しかったから、手伝うこともできない。ドリンクを作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る。ホールに出すをドリンクを作る作る作る作る作る作る作る作る。

いい具合に酒の回ってきた方々の声のリミットが外れて、大嫌いな甲高い女の声が頭にひびき始め、極限の集中と媚びたトーンの「すいませーん❤」という声に対してのヘイトの中で、

(面の皮を剥いで口閉ざしてクソみたいな素の声出させて「心が叫びたがってるんだ」なんていうのはどうだろうか。)ととんでもないことを思い始める。さすが俺、我ながら唯一無二は長所であり短所である。


だが。だがしかし、俺がどんなにヘイトを募ったとしても。俺がどれだけそんな人達を軽蔑してたとしても。その瞬間、勝っているのは向こうである。だって向こうは酒を飲んで、少ない飯をさらって楽しんでいるのだから。対する俺はひたすらに脳死奢り待ちETCバカマンコと休憩所発見力Aの(女)ハンターのお膳立てのための課金アイテム「酒」の配布をしているだけである。腹が立つ。

世に勧善懲悪物の出回りがあるのは、現実世界ではほぼなし得ない人間の欲求だからであろう。結局悪が勝ってしまう胸糞悪いものはマイナー作品としての色合いが強いイメージがある。万人受けをしないからであろうか、その辺はお偉い心理学者や映像研究家にでも任せておこう。少なくとも俺は見たいと思わない。しかし1番身近に自分自身として存在している。

やられた事は覚えているが、やった事は覚えてないと言うが、それはそうであろう。自分に被害を受けたことを被害を与えた事と同率に考えるわけがない。所詮人間なんて全員そんなものである。他者に対してやった悪意のある行動なんてものは、印象づくこと無く、時が忘れさせるのである。

時が忘れさせる。その時と言うのはやった時点での話だ。つまり、勧善懲悪物とは違い、やっても帰ってくる事が無いのである。いじめれば最後までいじめ通して卒業式で校歌を熱唱し悪友達と涙の別れをして新たな世界へと羽ばたいていく。そしてその世界でまた新たなものと触れ合い、自分のやった事がリソースから外れ、下らないものの経験が忘れない思い出として残る。まぁなんとも美しい青春だろうか。

そんなヤツらは中学高校とお前らと会えてよかったなんてのを酒の勢いで言ってしんみりとした空気で言ってへへ……なんてなるんだろうな。俺はお前と会った事、心の底から嫌だったよなんて言葉は、その時点で楽しんでいるやつには届かないし、壊された性格も人生も、そんなヤツらは意にも介さず、楽しんで生きている。果たして勝者はどちらなのだろうか。間違いなく後者であろうな。

19、20時。ドリンクを作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る。


しかし。かく言う俺自身も敗者なのだろう。こんなものを書いている時間で、どんちゃん騒ぎをしていたETCとハンターは休憩所でカードを挿入してパッカーンしている。どちらが勝者か。

後者だろう。こうして俺が後者を選択している時点で、敗北が確定している。


さて、書きたかったもの、そして一番の問題はこれからである。













俺には、ここしかない。ここしかないんだ。

殆どの人が、一連の流れの事を離す相手が存在して、そのことを共有、もしくは言葉にすることで自身が敗者である事の否定を他者にさせようとする。


私ってワガママ……はぁ……なんて匂わせの言葉にそんな事ないよ?返される快感というのは、結局のところ自分の中で少なからず抱いているそんな感情をノーと言わないであろう人間に対して発信することによって帰ってくる言葉を根拠として自身で自身に言い聞かせをするのである。こんなふうに書いているが、別にそれを批判している訳では無い。変に縮こまるよりも、素のままでいた方がポテンシャルとしては高く発揮できることになるだろう。

居る場合の話だ。俺のような自身から行く勇気もなく友達も少ない奴は、溜め込むかこのような所で自らと向き合って消費させていくしかない。

オフミがラフタリアの奴隷印をイカサマ試合で敗北して解除されて泣いて縮こまっている所に寄っていって大丈夫なんて言うラフタリアも

無知リアがほんほんとしてる中で白鯨で引くほど落ち込んでるスバルにゼロから始めるというタイトル回収と共に決心をさせる正妻こたレムも

牧瀬紅莉栖を救えずにα世界線で普通に戻った岡部倫太郎を再び鳳凰院凶真へと覚醒させ、シュタインズ・ゲートへの道へと切り開く決意をさせたまゆしぃのような存在も


俺には居ない。

タイムカードを切り、帰宅。

こうして一人部屋でこんな下らないものを書き続けている俺と、軽蔑している人間が幸せにカレカノと夜どうしの通話やらなんやらの間違いなくその人物にとっては唯一無二である時間を過ごす同じ休日の同じ夜、果たしてどちらが勝者だろうか。

分かっている。俺も、そんな人物も、そして今これ読んでいる人も。

憤怒と敗北の今日

負けは認めるまで負けじゃない。

よく聞く言葉だ。非常にいい言葉である。誰から見ても負けてようと、みすぼらしくあろうと、認めるまでは負けていないのだ。

逆に認めてしまえば負けなのである。誰がどう見ても勝っていようが、どれだけ誇り高くあろうと、認めてしまえば負けである。


16時、シフトに入る。他愛ない会話を店長としながら、ホールに出る。注文をとってドリンクを作る作る。提供する。いつも通りの動きだ。

17時、チラホラと大学生のような若い人達が来店してくる。先日に続いて忙しくなるのか?勘弁してくれよと思いながらもホールに出る。ドリンクを作る作る作る作る。提供する。まだ疲れは見えては来ない。


大学生というのはつくづく腹が立つ存在である。やたら洒落たドリンクを頼むのに、料理を頼まないから客単価自体はそこまで無い。ほかの店は知らないが、生憎この店は料理で値段を取りに行く店である。となると必然的にドリンカー、つまり俺が死んでしまうのだが、それに見合った料金を出す訳でもない。あぁ、腹が立つ。ブラッディマリー?焼酎薄め?は?うるせぇよとっとと酔って帰れやETCバカマンコが


失礼、お目汚しした。どうしても思いついたこれが書きたかった。

18時、もう1人の店員が入る。今日は3人なので、これでどうにかやりくりをしていかなければいけない。決して他のロールを貶す訳では無いが、少なくとも今日の客のラインナップと頼んだものから見ると、ドリンカーはいつもより数倍は大変な思いだっただろう。なまじそこそこ他も忙しかったから、手伝うこともできない。ドリンクを作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る。ホールに出すをドリンクを作る作る作る作る作る作る作る作る。

いい具合に酒の回ってきた方々の声のリミットが外れて、大嫌いな甲高い女の声が頭にひびき始め、極限の集中と媚びたトーンの「すいませーん❤」という声に対してのヘイトの中で、

(面の皮を剥いで口閉ざしてクソみたいな素の声出させて「心が叫びたがってるんだ」なんていうのはどうだろうか。)ととんでもないことを思い始める。さすが俺、我ながら唯一無二は長所であり短所である。


だが。だがしかし、俺がどんなにヘイトを募ったとしても。俺がどれだけそんな人達を軽蔑してたとしても。その瞬間、勝っているのは向こうである。だって向こうは酒を飲んで、少ない飯をさらって楽しんでいるのだから。対する俺はひたすらに脳死奢り待ちETCバカマンコと休憩所発見力Aの(女)ハンターのお膳立てのための課金アイテム「酒」の配布をしているだけである。腹が立つ。

世に勧善懲悪物の出回りがあるのは、現実世界ではほぼなし得ない人間の欲求だからであろう。結局悪が勝ってしまう胸糞悪いものはマイナー作品としての色合いが強いイメージがある。万人受けをしないからであろうか、その辺はお偉い心理学者や映像研究家にでも任せておこう。少なくとも俺は見たいと思わない。しかし1番身近に自分自身として存在している。

やられた事は覚えているが、やった事は覚えてないと言うが、それはそうであろう。自分に被害を受けたことを被害を与えた事と同率に考えるわけがない。所詮人間なんて全員そんなものである。他者に対してやった悪意のある行動なんてものは、印象づくこと無く、時が忘れさせるのである。

時が忘れさせる。その時と言うのはやった時点での話だ。つまり、勧善懲悪物とは違い、やっても帰ってくる事が無いのである。いじめれば最後までいじめ通して卒業式で校歌を熱唱し悪友達と涙の別れをして新たな世界へと羽ばたいていく。そしてその世界でまた新たなものと触れ合い、自分のやった事がリソースから外れ、下らないものの経験が忘れない思い出として残る。まぁなんとも美しい青春だろうか。

そんなヤツらは中学高校とお前らと会えてよかったなんてのを酒の勢いで言ってしんみりとした空気で言ってへへ……なんてなるんだろうな。俺はお前と会った事、心の底から嫌だったよなんて言葉は、その時点で楽しんでいるやつには届かないし、壊された性格も人生も、そんなヤツらは意にも介さず、楽しんで生きている。果たして勝者はどちらなのだろうか。間違いなく後者であろうな。

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しかし。かく言う俺自身も敗者なのだろう。こんなものを書いている時間で、どんちゃん騒ぎをしていたETCとハンターは休憩所でカードを挿入してパッカーンしている。どちらが勝者か。

後者だろう。こうして俺が後者を選択している時点で、敗北が確定している。


さて、書きたかったもの、そして一番の問題はこれからである。













俺には、ここしかない。ここしかないんだ。

殆どの人が、一連の流れの事を離す相手が存在して、そのことを共有、もしくは言葉にすることで自身が敗者である事の否定を他者にさせようとする。


私ってワガママ……はぁ……なんて匂わせの言葉にそんな事ないよ?返される快感というのは、結局のところ自分の中で少なからず抱いているそんな感情をノーと言わないであろう人間に対して発信することによって帰ってくる言葉を根拠として自身で自身に言い聞かせをするのである。こんなふうに書いているが、別にそれを批判している訳では無い。変に縮こまるよりも、素のままでいた方がポテンシャルとしては高く発揮できることになるだろう。

居る場合の話だ。俺のような自身から行く勇気もなく友達も少ない奴は、溜め込むかこのような所で自らと向き合って消費させていくしかない。

オフミがラフタリアの奴隷印をイカサマ試合で敗北して解除されて泣いて縮こまっている所に寄っていって大丈夫なんて言うラフタリアも

無知リアがほんほんとしてる中で白鯨で引くほど落ち込んでるスバルにゼロから始めるというタイトル回収と共に決心をさせる正妻こたレムも

牧瀬紅莉栖を救えずにα世界線で普通に戻った岡部倫太郎を再び鳳凰院凶真へと覚醒させ、シュタインズ・ゲートへの道へと切り開く決意をさせたまゆしぃのような存在も


俺には居ない。

タイムカードを切り、帰宅。

こうして一人部屋でこんな下らないものを書き続けている俺と、軽蔑している人間が幸せにカレカノと夜どうしの通話やらなんやらの間違いなくその人物にとっては唯一無二である時間を過ごす同じ休日の同じ夜、果たしてどちらが勝者だろうか。

分かっている。俺も、そんな人物も、そして今これ読んでいる人も。

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負けは認めるまで負けじゃない。

よく聞く言葉だ。非常にいい言葉である。誰から見ても負けてようと、みすぼらしくあろうと、認めるまでは負けていないのだ。

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16時、シフトに入る。他愛ない会話を店長としながら、ホールに出る。注文をとってドリンクを作る作る。提供する。いつも通りの動きだ。

17時、チラホラと大学生のような若い人達が来店してくる。先日に続いて忙しくなるのか?勘弁してくれよと思いながらもホールに出る。ドリンクを作る作る作る作る。提供する。まだ疲れは見えては来ない。


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だが。だがしかし、俺がどんなにヘイトを募ったとしても。俺がどれだけそんな人達を軽蔑してたとしても。その瞬間、勝っているのは向こうである。だって向こうは酒を飲んで、少ない飯をさらって楽しんでいるのだから。対する俺はひたすらに脳死奢り待ちETCバカマンコと休憩所発見力Aの(女)ハンターのお膳立てのための課金アイテム「酒」の配布をしているだけである。腹が立つ。

世に勧善懲悪物の出回りがあるのは、現実世界ではほぼなし得ない人間の欲求だからであろう。結局悪が勝ってしまう胸糞悪いものはマイナー作品としての色合いが強いイメージがある。万人受けをしないからであろうか、その辺はお偉い心理学者や映像研究家にでも任せておこう。少なくとも俺は見たいと思わない。しかし1番身近に自分自身として存在している。

やられた事は覚えているが、やった事は覚えてないと言うが、それはそうであろう。自分に被害を受けたことを被害を与えた事と同率に考えるわけがない。所詮人間なんて全員そんなものである。他者に対してやった悪意のある行動なんてものは、印象づくこと無く、時が忘れさせるのである。

時が忘れさせる。その時と言うのはやった時点での話だ。つまり、勧善懲悪物とは違い、やっても帰ってくる事が無いのである。いじめれば最後までいじめ通して卒業式で校歌を熱唱し悪友達と涙の別れをして新たな世界へと羽ばたいていく。そしてその世界でまた新たなものと触れ合い、自分のやった事がリソースから外れ、下らないものの経験が忘れない思い出として残る。まぁなんとも美しい青春だろうか。

そんなヤツらは中学高校とお前らと会えてよかったなんてのを酒の勢いで言ってしんみりとした空気で言ってへへ……なんてなるんだろうな。俺はお前と会った事、心の底から嫌だったよなんて言葉は、その時点で楽しんでいるやつには届かないし、壊された性格も人生も、そんなヤツらは意にも介さず、楽しんで生きている。果たして勝者はどちらなのだろうか。間違いなく後者であろうな。

19、20時。ドリンクを作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る。


しかし。かく言う俺自身も敗者なのだろう。こんなものを書いている時間で、どんちゃん騒ぎをしていたETCとハンターは休憩所でカードを挿入してパッカーンしている。どちらが勝者か。

後者だろう。こうして俺が後者を選択している時点で、敗北が確定している。


さて、書きたかったもの、そして一番の問題はこれからである。













俺には、ここしかない。ここしかないんだ。

殆どの人が、一連の流れの事を離す相手が存在して、そのことを共有、もしくは言葉にすることで自身が敗者である事の否定を他者にさせようとする。


私ってワガママ……はぁ……なんて匂わせの言葉にそんな事ないよ?返される快感というのは、結局のところ自分の中で少なからず抱いているそんな感情をノーと言わないであろう人間に対して発信することによって帰ってくる言葉を根拠として自身で自身に言い聞かせをするのである。こんなふうに書いているが、別にそれを批判している訳では無い。変に縮こまるよりも、素のままでいた方がポテンシャルとしては高く発揮できることになるだろう。

居る場合の話だ。俺のような自身から行く勇気もなく友達も少ない奴は、溜め込むかこのような所で自らと向き合って消費させていくしかない。

オフミがラフタリアの奴隷印をイカサマ試合で敗北して解除されて泣いて縮こまっている所に寄っていって大丈夫なんて言うラフタリアも

無知リアがほんほんとしてる中で白鯨で引くほど落ち込んでるスバルにゼロから始めるというタイトル回収と共に決心をさせる正妻こたレムも

牧瀬紅莉栖を救えずにα世界線で普通に戻った岡部倫太郎を再び鳳凰院凶真へと覚醒させ、シュタインズ・ゲートへの道へと切り開く決意をさせたまゆしぃのような存在も


俺には居ない。

タイムカードを切り、帰宅。

こうして一人部屋でこんな下らないものを書き続けている俺と、軽蔑している人間が幸せにカレカノと夜どうしの通話やらなんやらの間違いなくその人物にとっては唯一無二である時間を過ごす同じ休日の同じ夜、果たしてどちらが勝者だろうか。

分かっている。俺も、そんな人物も、そして今これ読んでいる人も。

憤怒と敗北の今日

負けは認めるまで負けじゃない。

よく聞く言葉だ。非常にいい言葉である。誰から見ても負けてようと、みすぼらしくあろうと、認めるまでは負けていないのだ。

逆に認めてしまえば負けなのである。誰がどう見ても勝っていようが、どれだけ誇り高くあろうと、認めてしまえば負けである。


16時、シフトに入る。他愛ない会話を店長としながら、ホールに出る。注文をとってドリンクを作る作る。提供する。いつも通りの動きだ。

17時、チラホラと大学生のような若い人達が来店してくる。先日に続いて忙しくなるのか?勘弁してくれよと思いながらもホールに出る。ドリンクを作る作る作る作る。提供する。まだ疲れは見えては来ない。


大学生というのはつくづく腹が立つ存在である。やたら洒落たドリンクを頼むのに、料理を頼まないから客単価自体はそこまで無い。ほかの店は知らないが、生憎この店は料理で値段を取りに行く店である。となると必然的にドリンカー、つまり俺が死んでしまうのだが、それに見合った料金を出す訳でもない。あぁ、腹が立つ。ブラッディマリー?焼酎薄め?は?うるせぇよとっとと酔って帰れやETCバカマンコが


失礼、お目汚しした。どうしても思いついたこれが書きたかった。

18時、もう1人の店員が入る。今日は3人なので、これでどうにかやりくりをしていかなければいけない。決して他のロールを貶す訳では無いが、少なくとも今日の客のラインナップと頼んだものから見ると、ドリンカーはいつもより数倍は大変な思いだっただろう。なまじそこそこ他も忙しかったから、手伝うこともできない。ドリンクを作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る。ホールに出すをドリンクを作る作る作る作る作る作る作る作る。

いい具合に酒の回ってきた方々の声のリミットが外れて、大嫌いな甲高い女の声が頭にひびき始め、極限の集中と媚びたトーンの「すいませーん❤」という声に対してのヘイトの中で、

(面の皮を剥いで口閉ざしてクソみたいな素の声出させて「心が叫びたがってるんだ」なんていうのはどうだろうか。)ととんでもないことを思い始める。さすが俺、我ながら唯一無二は長所であり短所である。


だが。だがしかし、俺がどんなにヘイトを募ったとしても。俺がどれだけそんな人達を軽蔑してたとしても。その瞬間、勝っているのは向こうである。だって向こうは酒を飲んで、少ない飯をさらって楽しんでいるのだから。対する俺はひたすらに脳死奢り待ちETCバカマンコと休憩所発見力Aの(女)ハンターのお膳立てのための課金アイテム「酒」の配布をしているだけである。腹が立つ。

世に勧善懲悪物の出回りがあるのは、現実世界ではほぼなし得ない人間の欲求だからであろう。結局悪が勝ってしまう胸糞悪いものはマイナー作品としての色合いが強いイメージがある。万人受けをしないからであろうか、その辺はお偉い心理学者や映像研究家にでも任せておこう。少なくとも俺は見たいと思わない。しかし1番身近に自分自身として存在している。

やられた事は覚えているが、やった事は覚えてないと言うが、それはそうであろう。自分に被害を受けたことを被害を与えた事と同率に考えるわけがない。所詮人間なんて全員そんなものである。他者に対してやった悪意のある行動なんてものは、印象づくこと無く、時が忘れさせるのである。

時が忘れさせる。その時と言うのはやった時点での話だ。つまり、勧善懲悪物とは違い、やっても帰ってくる事が無いのである。いじめれば最後までいじめ通して卒業式で校歌を熱唱し悪友達と涙の別れをして新たな世界へと羽ばたいていく。そしてその世界でまた新たなものと触れ合い、自分のやった事がリソースから外れ、下らないものの経験が忘れない思い出として残る。まぁなんとも美しい青春だろうか。

そんなヤツらは中学高校とお前らと会えてよかったなんてのを酒の勢いで言ってしんみりとした空気で言ってへへ……なんてなるんだろうな。俺はお前と会った事、心の底から嫌だったよなんて言葉は、その時点で楽しんでいるやつには届かないし、壊された性格も人生も、そんなヤツらは意にも介さず、楽しんで生きている。果たして勝者はどちらなのだろうか。間違いなく後者であろうな。

19、20時。ドリンクを作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る作る。


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後者だろう。こうして俺が後者を選択している時点で、敗北が確定している。


さて、書きたかったもの、そして一番の問題はこれからである。













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殆どの人が、一連の流れの事を離す相手が存在して、そのことを共有、もしくは言葉にすることで自身が敗者である事の否定を他者にさせようとする。


私ってワガママ……はぁ……なんて匂わせの言葉にそんな事ないよ?返される快感というのは、結局のところ自分の中で少なからず抱いているそんな感情をノーと言わないであろう人間に対して発信することによって帰ってくる言葉を根拠として自身で自身に言い聞かせをするのである。こんなふうに書いているが、別にそれを批判している訳では無い。変に縮こまるよりも、素のままでいた方がポテンシャルとしては高く発揮できることになるだろう。

居る場合の話だ。俺のような自身から行く勇気もなく友達も少ない奴は、溜め込むかこのような所で自らと向き合って消費させていくしかない。

オフミがラフタリアの奴隷印をイカサマ試合で敗北して解除されて泣いて縮こまっている所に寄っていって大丈夫なんて言うラフタリアも

無知リアがほんほんとしてる中で白鯨で引くほど落ち込んでるスバルにゼロから始めるというタイトル回収と共に決心をさせる正妻こたレムも

牧瀬紅莉栖を救えずにα世界線で普通に戻った岡部倫太郎を再び鳳凰院凶真へと覚醒させ、シュタインズ・ゲートへの道へと切り開く決意をさせたまゆしぃのような存在も


俺には居ない。

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分かっている。俺も、そんな人物も、そして今これ読んでいる人も。

大人な大人

しばしば自分の事を「大人な考え」や「大人びている」と形容する方々がいる。言われて嬉しい言葉ではあるが、穿った物の見方しかできない自分が「大人びている」と表現するのは些か違和感を感じる。

さて、問題はこの「大人びている」である。読んで字のごとくだが、一応調べてみると、「成熟した大人に見える、大人らしい、大人に相応しい」という意味のようだ。

また同じような言葉の「大人しい」というのは、「穏やかで素直だ。落ち着いていて静かだ。」という意味の形容詞であるようだ。

使用例としては「大人な対応だった」や、「大人しく座っていた」や、「大人びた性格」などである。

ここで大事になってくるのが、全てプラス評価として使用されていることである。

「大人びた性格」という言葉に

「頑固である」「頭の固い」「時代についていけない」

というようなニュアンスは一切含まれておらず、他についても同じことが言える。

さてここまで「大人」とつくものについて調べたが、一般的に逆となる「子供」とつくものについての説明をしたいと思う。

「子供っぽい」の意味は、「実際には歳をとっているにも関わらず、服装や言動が子供のようであるさま」という意味らしい。

使用例としては、「子供っぽい考え」や、「子供っぽく振る舞う」といった所だろうか。「幼い」という言葉でも代用が効きそうな所である。

この「子供っぽい」という言葉が使われる際にはマイナスの評価であると言えるだろう。「子供のような人」という意味の中に、「これからの選択肢が沢山あり、未来の多い」とか、「柔軟な発想ができる頭の柔らかい」という意味を持ち合わせる事はまず無い。「我儘である」とか、「すぐに泣いたり怒ったりする」というのが主であろう。

こうして挙げてみると、大人と子供の2つが、物理的なものだけでなく、評価点として、言うなれば精神的なものとしても反対として使われていることが分かる。

さて、ここで鶏とひよこの論争が生まれる。

「大人」という言葉に「穏やかで素直」が入っているのか、「穏やかで素直」という意味合いに最も適切だったのが「大人」なのか。

ここで先程述べた事を思い出してみよう。「大人らしい」という意味にマイナスは含まれていない。もし大人をそのまま表したのが

「大人」ならば、マイナスのニュアンスを含む言葉があってもいいはずである。そう考えると、後者が適切なのだろう。これは、「子供」にも同じ事が言えるだろうと考えられる。

となれば、大人というのは「穏やかで素直である」らしい。


果たしてそうだろうか?


今これ読んでいる大人の方で、自らは「大人らしい」と断言できるのだろうか。

出来ないならなぜできないのだろうか。「穏やかで素直である」のが「大人」なのに、大人の人達が出来なければ一体誰がするのか。

話を変えよう。「大人」という言葉の定義にもう1つ、付け足すことがある。「大人」が示す大人の対象についてだ。

言うまでもなく、「穏やかで素直」な大人が対象である。子供のような大人や、頑固ジジイのような大人はこの「大人」の中にはいない。

となれば、この「穏やかで素直」という大人の範囲には、ある意味理想、もっと言えば大人はこうであるべきというニュアンスがあるのかもしれない。

昔の日本人が全員穏やかで素直であったわけがない。玉藻前とかいうオギャバブ赤ちゃんおじさんの生み出した怪物もいれば、昔話でも登場するのは絶世の美女だ。かぐや姫やら、機織り鶴やら、雪女やら。ろくな国でないのでは?まぁいい。

もし自分の考えた通りならば、「穏やかで素直」である事を「大人」の当然の姿として認知しているであろう日本は、些か理想を追い求めすぎなのかもしれない。

大人だって穏やかじゃない時もあるし、素直になれない時もある。また赤ちゃんの大人もいれば、それこそ子供のような大人も居るだろう。


題名の大人に「」がついていないのは、そういう事だ。「大人」が大人の当然ではなく理想ならば、全員が全員「大人」にならなくたっていい。一人一人が、ありのままの姿、つまり、大人な大人であって欲しいと願う。


蜜の味は他者の不幸ではなく自らの幸福

平日に休むのは何故こんなにも心地が良いのか。謎を解明すべく、我々は自宅の部屋の奥地へと向かった。

何をする訳でもないし、特別な用事がある訳でもない。ただ祝日であれなんであれ、休日に休むという事自体に快感を覚える。それは何故か。

1つは、普段からの平日への恨み。俺は根っからの日本人であり、「月から金は仕事」という文化の根付いている勤勉少年であるため、この17年という月日を経て、脳の奥深くに平日への恨みが溜まっているのだろう。これは俺だけでなく、普段から平日頑張っているみんなもそうである。

もう1つ。「平日頑張っている奴を他所に休みを謳歌することへの背徳感と優越感。」これは俺しか聞いたことがない。というか人に言うと100割引かれる。当たり前である。

人間、理解できないことは他のことに置き換えると理解ができるものである。身近なもので例えよう。

「誰に迷惑をかける訳でも無いが、スリルと優越に浸れるもの」と言えばそう。

「集会の拍手で自分が一番最後になる」だ。

やったことが無い?

考えた事も聞いたことも無い?

さぞかしつまらない人生だったろうな。

しかし、日本語にもこのような表現ある。例えば、なにかとんでもないものを口にした時、「これは犯罪的だわ」とか、「ダメだってこれ」とか、「キンキンに冷えてやがる!悪魔的な美味さだ」など聞かないだろうか。

持論であるが、このような言葉の中に、うっすらとそういったニュアンスも含まれているのではないだろうか。

明らかに体に悪いもの。寿命を縮めるもの。

優越は無いかもしれないが、スリルという点では同じような感じなのがお分かりになるだろう。

話を戻そう。先程俺は、「他人に迷惑をかけないが、」という条件を置いたが、これに関しては少々違ってくるかもしれない。

なんせ優越感に浸るためには、身近に平日頑張っている奴が必要だからだ。

「学校頑張れ!俺は休むけどw」というのは、相手からの負の感情が伝わって始めて成立する。他者の中で俺が休んでいる中自分は頑張っている、という認知を俺の中でする必要がある。

自らの比較対象が存在することで初めて己の位置を見定めることができるのである。

だから常々、俺が休んでいる日にはことごとく全員が不幸な目にあって欲しいと感じている。何も死ねと言っている訳では無い。

靴紐が切れるとか、彼女にフラれるとか、鍵落とすとか、先生に怒られるとか。

こういった不幸を聞く事で、自らが休んだ価値が出てくる。俺が望んでいるのは他者の不幸ではなく、自らの幸福なのだ。

こんな事言ってる奴に友達が出来ないのも、自らに不幸が降りかかるのも当然の事である。しかしながら俺が不幸になる事で誰かの幸せになってると考えれば、あながち悪い物でも無いかもしれない。

うるせぇ幸せになるのは俺だけでいいんだよはよドブに落ちろ

17年で熟成された化け物

最近舞姫読んで、(さすがに暇があるからって黒歴史掘り返すか?)と思ってたけど、ほんとにやることが無いとこうやって人生振り返ってどっかに書いたりするものだと、こうして交通トラブルで1時間ほど待機して分かった。豊太郎は想像以上に暇の苦痛から逃れたかったようだ。

毎日をルーティーンのように過ごしていても、17年もあれば語る事は多くあるのかもしれないが、特に無い。人並みに物に一喜一憂してはいたが、語るに足るものかどうかは別だ。

毎日を楽しく語れる人は、語るに足るものを話しているのか、聞く側は右から左へ流す話なのか。どちらかが分からない時点で、人としてどこか外れているのだろう。

しかし、自分の矮小さについてはひたすらに話すことが出来る。悲しいかな、人の粗を探して揚げ足取りを覚えると、自らの事ですら粗や揚げ足を取れるようになる。気付いている自分を見ずに人にとやかく言うのは最低だが、非常に簡単である。

この17年間、本気に打ち込んだものは無い。自ら始めたサッカーも時々サボっていたし、高校受験ですらマトモに勉強しなかった。

そうして入った高校で、、幾度も同生徒を心の中で見下してきた。リソースをちょいと他に持って行って、最も簡単な人と関わることの出来ない雑魚が見下すとは、なんともまぁ惨めなものだ。

取れないぶどうは酸っぱいと思う事で、自らに対しての言い訳ができる。俺が友達なんて要らないというのは、きっと八割が作れない言い訳なのだろう。もし俺が友情特化で充実していれば、きっと友達はいた方がいいと思っていただろう。高校での結論も、脆弱なものである。

ここで俺が確信をしていないのは、もはや自分が言い訳をしているのか本心なのかどうかすらもわからなくなったからだ。嘘を本当と思い続けると、いつしかそれが嘘か本当かわからなくなってしまう。ただひとつ確実に言えることは、この考えは俺が死ぬまで変えることが出来ないということだ。

節目で少しは頑張ってみようと思うが、三日坊主である。頑張ることをしてこなかった人間は、どうやって頑張るかすら知らない。そうやって俺は段々と逃げる事が上手になっていった。最もらしい理論を立て、何となく周りを納得させ、逃げる。素晴らしい才能だ。マーケティングとか向いてるんじゃないかな。

こんなカスのような人間でもそれとなく居場所ができるんだから驚きだ。どんな奴でも居場所ができたように感じることの出来るTwitterというのは、やはり偉大である。言葉でSEXしたり自殺したりリスカしたり炎上商法したりできるのだから、いくつかの思ってもない褒め言葉でも気分が上がるのも当然だろう。

今やネットはリアルと同等と言われるが、ネットがリアルに影響を与えてる時点で、ネットが上なのではないかとすら思えてくる。いつの日か、ネットを使いこなせるやつがカースト上位にくい込む日も遠くは無いのかもしれない。

もう何書いてるか分からんわ。俺みたいなやつにはなるなよ。3年間で打ち込んだことで1文字も書くことの出来ない俺にはなるなよ。